
くわたぽてととは
くわたぽてとが目指す世界
がんばらない世界をつくる。
これは「ズボラ」で、なにもがんばらないでグータラ生きよう!という意味ではない!
がんばらないこと=得意なこと(苦にならず、楽しくできること)という考えで、世の中の人が、がんばらないことで力を発揮できる世界が広がれば、誰しもが生きやすい世界になるという想いを持っている。
くわたぽてとの経歴

くわたぽてと
Potato Kuwata
大阪府吹田市生まれ。
2011年から京都建築大学校という建築専門学校に通い、21歳で2級建築士を取得し、卒業後は店舗内装設計施工会社である株式会社バウハウス丸栄において、大型量販店(TSUTAYA・イオン・ゆめタウン等)の設計施工の監理者として従事し、退職。
退職後はフィリピン セブ島に留学し、デザインスキルを学び、帰国後の2015年(当時26歳)にデザイン事務所「ヤオヤ」を立ち上げる。
主に、大阪北摂地域を中心とした地域活性化へのの活動に運営企画・ディレクションやデザインで関わり、活動をしている。
2021年からクラウドファンディングCAMPFIRE公式キュレーションパートナーとして活動し、現在CAMPFIREの社員としてまちづくりにも関わっている。
くわたぽてとの生い立ち

両親が吹田市で、「ラケットハウス クワタ(現:ラケットハウスKING)」という、テニス・バドミントンの専門店を経営し、共働きだったため、吹田市立山田第三保育園に入園。
その後、吹田市立吹田第一小学校→吹田市立吹田第三中学校に進学する。
中学校では、実家がテニス屋という理由で、ソフトテニス部に入部(吹田市ベスト4)。当時は特に自分から進んで、熱中できることがなく、親の敷いたレールを走るような子どもだった。

就活中に一番行きたかった店舗内装会社「株式会社バウハウス丸栄」に就職する。会社員時代は、主に大型量販店の設計施工(内装管理業務)を担当していた。(実績例:TSUTAYA/ゆめタウン/イオン等)
元々、独立心はなかったので、この会社で上り詰めてやる!という思いで仕事をしていたが、結局将来は管理職になることをイメージ(人とお金の管理で、現場からは離れてしまう)したら、社内で上り詰めることに魅力を感じなくなり、独立を考え始める。そして「自分の人生をもっとワクワクして楽しみたい!」ということを決意し、25歳の時に会社を辞める。

独立したら、店舗をロゴやウェブサイトから内装までトータルでプロデュースしたいと考えていたが、当時のぽてとは内装の知識しかなかったため、グラフィックデザインやウェブデザインの勉強をするために、フィリピン セブ島のITスクール「アクトハウス」に留学し、約7ヶ月間みっちりデザインを勉強する。

フィリピンから帰国後の2015年8月8日(ヤオヤの日)に、店舗トータルデザイン事務所「ヤオヤ」を開業。開業当初は、店舗をトータル的にデザインでプロデュースするという、いわば「何でもできるデザイナー」として、これから開業される方をデザインでサポートしていました。
しかし、まわりに「自分よりスキルの高い、何でもできるデザイナー」が多いことと、「これから開業される方は資金面でデザインにお金かけられない」現状があることを体感した。
また開業当初は、ぼく自身すごいお金の話をするのが苦手で、お客さまから「値段が高い!」と言われたら、何も言い返せず、値引きするという現状もあった。
だからこそ、まずは自分が本当に力を発揮できるポジションを確立していこうと自己ブランディングをし始めた。
少しはくわたぽてとのことを理解していただけただろうか?
地域活性のお仕事をご依頼していく上で、くわたぽてと自身を知っていただき、好きになってもらい、一緒に地域を盛り上げる活動をできたらと思います。